聖ローズ=フィリピン・デュシェーン   St. Rose Philippine Duchesne

私たちは、キリストのためにとても小さな土地を耕しています。
しかし、そのことをとても大切にしています。神は、私たちに偉大な業績ではなく、
自らのために何もとっておかない心をお望みになるからです。
聖ローズ=フィリピン・デュシェーン

始まり

 聖ローズ=フィリピン・デュシェーンは1769年8月29日、フランスの古都グルノーブルに生まれました。8人姉弟の一人として恵まれた家庭に育ち、意志が強く大胆で、寛大な心の持ち主でした。サン・マリー・ドン・オーの聖母訪問会の修道院で教育を受け、18歳の時に、家族の反対を押し切って同修道会に入会しましたが、ほどなくフランス革命により修道院は閉鎖されてしまいました。その後、11年間にわたり、生命の危険を冒しながら、投獄された人々を見舞い、禁じられていた司祭の信徒訪問を助け、貧しい子どもたちを教育し、世話をしながら、修道院と寄宿学校の再開に向けて尽力しました。

 1804年12月、フィリピンの話を聞いたマグダレナ=ソフィア・バラが、サン・マリー・ドン・オーを訪ね、フィリピンは、聖心会に入会することを決意しました。異なる気質ながら、卓越したこの2人の間に深い友情が結ばれ、それは生涯にわたって続きました。宣教者として神に呼ばれていると感じたフィリピンは、何度もソフィア・バラにアメリカの先住民に福音をもたらす夢を語りましたが、それが実現するまで、長い間待たねばなりませんでした。

St. Rose Philippine Duchesne on the Rebecca, Oil on Panel, by Margaret Mary Nealis rscj
St. Rose Philippine Duchesne on the Rebecca, Oil on Panel, by Margaret Mary Nealis rscj
Picture: GC2016 document (p.34), 
and in the gallery of rscjinternational.  

種を蒔く

  ついに、フィリピンがアメリカに渡る機会が訪れました。当地で、フランス人と先住民の子どものための学校を創立する修道女を求めていたドュブール司教が、パリの聖心会本部を訪れたのです。ついに、ソフィア・バラの許可を得たフィリピンは、1818年、4名の修道女と共にレベッカ号で出帆し、困難な船旅の後ニューオリンズに到着、その後ミシシッピ川を40日間北上し、ミズーリ州セントルイスを経て、すぐに近隣のセントチャールズで丸太小屋の学校を開きます。これはミシシッピ川以西で最初の学費無料の学校でしたが、開拓地の状況は厳しく、人口も少数で、1年後にはこの学校を閉鎖せざるを得なくなり、新校を近隣の町フロリソンに開校しました。

 英語には苦労しながら、フィリピンは修道院院長と学校長を務め、食料調達、薪割り、庭仕事、靴や衣服の修繕、病人の看護、せっけん・ろうそく作りなど重労働を進んで引き受けました。フロリソンでは階段の下の小さな物置で寝起きし、すぐ隣の聖堂で一晩中祈っては、誰の邪魔にもならないようにそこへ戻ったと伝えられています。

根を張る

 アメリカの地で聖心会に入会を志す人も増え、ほどなくフィリピンは5つの修道院の責任者となりました。アメリカの文化に適応する一方、聖心会の精神が保たれるよう努め、学校では、聖心会の学習指導要領に従い、よく練られたカリキュラムを提供し、霊的・知的訓練を組み合わせた教育を行いました。セントルイスの学校は白人以外の生徒も受け入れ、セントルイスでは最初の孤児院も開設しています。 

 1841年、ついに、先住民のために働きたいというフィリピンの願いが叶うことになりました。イエズス会の司祭の特別な要請により、ポトワトミ族の少女たちの学校設立のため、3名のシスターと共にカンサス州シュガークリークへ赴きます。72歳のフィリピンは労働はできず、ポトワトミ族の言語を学ぶこともできませんでしたが、祈りに多くの時間を過ごし、「いつも祈っている婦人」という名で呼ばれ、慕われました。1年後に健康上の理由からセントチャールズに帰ることを余儀なくされますが、フィリピンは人々に深い印象を残しました。 

Picture:  GC2016 document (p.34),
and in the gallery of rscjinternational.
 

フィリピンの遺産

フィリピンはかつてソフィア・バラにこう書き 「私はどこに行っても、ものごとをだめにしてしまうのではないかという怖れをいつも心に抱えています。」と。実際、フィリピンは多くの失敗を経験しましたが、彼女の宣教への熱意と会への忠実さによって、聖心会はその後も、南米、オーストラリア、日本と、世界に広がり、同時に国際性を最も強固な特色としながらも、一つの会であり続けることができたのです。

 今日、フィリピンの精神を受け継いで、聖心の教育者たちは、若い人々を現代と未来のために育成し、貧しい人々や今日の社会で顧みられない人々に目を向けています。フィリピンのように、どこでも神の呼びかけに従う勇気と、いつでも祈る知恵を持った開拓者が求められているのです。

 ローズ=フィリピン・デュシェーンは1852年11月18日に83歳で帰天し、1988年に列聖されました。

記念行事

2018年は聖ローズ=フィリピン・デュシェーンが大西洋を渡りアメリカ大陸に上陸して200周年を記念して、世界各地で記念行事が行われました。

 https://rscjinternational.org/rpd/bicentennial-activities 
 (聖心会マザーハウスホームページ)英語


聖ローズ=フィリピン・デュシェーンについての本は聖心会の霊性のページで紹介しております。