わたしの呼ばれた道
今、私は、このイエスの愛いっぱいの聖心会で、一生懸命生きています。この会だからこそ、私はこの年になるまで、無事に生きていくことができたのだと心から感謝しております。また、私の家族もどれほど恩恵をこうむってきたことか、それははかりしれないほどです。全てにおいて感謝の一言につきます。
私の父の実家は神棚と仏壇のある普通の専業農家でした。父が戦死したため、私と姉は、小学校1年生まであずけられました。5歳のとき、勉強していた母が、休みに帰ってきて、親戚には秘密で、私達姉妹を、福岡県久留米市のカトリック教会に連れて行きました。そこで、私達は洗礼をさずけていただきました。今もその時の光景が目にやきついています。神父様のストラのはしを手に持って、聖堂の中を祭壇に向かって歩いておりました。その時、白い修道服を着たシスターの姿も目に残っています。
母は、また、勉強のため奈良に戻りました。時々ご絵を私達に送ってくれました。私は、その中で、幼いイエス様が地球の上に両手をひろげて立っておられる絵が好きで、何回もその絵を模写したことをしっかりおぼえています。まるで、昨日のように。この絵は、私の心にとって大切な絵になりました。私の生き方を支えてくれています。
小学校1年生の時、母に引き取られ、姉と母と3人の生活が始まり、又同時にカトリックの教えについて学び始めました。その頃、親戚にあてた手紙に「イエス様の心は、愛の火で燃えています」というようなことが書いてありました。
特に何かがあったわけでも、誰からすすめられたわけでもありませんが、私が修道者になるという最初の思い出は、小学校2年生のときでした。母がカテキスタとしてつとめていた三重県津市のカトリック教会に住んでおられた二人のメリノール会のシスターが、姉を見て、この人は洗礼名が私と同じジェンマだからシスターになると姉にいつも言うのを聞きながら、このシスターは間違っている、シスターになるのは姉ではなく私だと思っていたことです。(あとでわかったことですが、なにかの手違いで、姉と私の洗礼名が反対になっていて私がジェンマでした)。私の心の深い所にはシスターになるのが当然だという思いがありました。
もちろん、母の父への思いとか結婚の素晴らしさとかキュリー夫人のようになることへのあこがれとか、親戚の期待とか、そういうものをいっぱい身に付けて育ちましたが、心の深いところには、受肉されたイエスへの切ることのできないつながりがあり、それが今の私を支えているのではないでしょうか。(Y.E.)