1月のみこころの道
2026年1月27日
◆ 新年の始まりに当たり、若者たちはみこころの道の仲間との関係性を深めるために集まりました。対面で9名(2名早退)、ZOOMで2名の参加者でした。
◆ 現代の若者の問題は実は私たち一人ひとりの問題でもあるテーマでした。この現代に生きる人々の中に、聖書は「イエスは存在して」、人々は「救いを求めている」と語っていると言えましょう。参加者は真剣な眼差しで聞き入っていました。
今日は皆さんに、「現代の若者を巡る問題について」というテーマで、心理職の立場から現代の若者が抱える生きづらさとこころのケアについてお話ししました。若者の世代は、進学や就職、ライフステージの変化が起こり、新たな環境や役割への適応が求められています。現代の若者は、家族や周囲の人との関係性の問題だけでなく、日本国内での様々な問題、度重なる災害、世界情勢の悪化などに加え思春期に新型コロナウイルスの影響を受けた経験から、生きづらさを抱える人も少なくありません。日本の10~39歳の死因の第1位は自殺であり、国により対策は進められていますが、諸外国と比べても深刻な状況であることが読み取れます。 このような苦悩を抱える若者に心理職がお会いすることがあります。心理職が行うこころのケアは、心理的健康の不調を体験している人々の回復を支援するアプローチと、心理的健康の予防・増進を支援するアプローチがあります。心理職として臨床をしている中で出会った現代の若者の生きづらさの背景には、「自己肯定感の低さ」「孤独感」「情報過多」といったことも関係していると感じています。また、様々な悩みがこころの問題として現れることもあれば、痛みなどの身体の問題として現れることを経験してきました。心理学の理論やアプローチをもとに、その人を理解し、寄り添っていく存在でありたいと考えています。 参加した皆さんとのお話しの時間では、最近は人と人とのつながりが薄れているように感じられること、相手の立場に立って言葉を選ぶ重要性を体験したことなどを共有しました。またAIが発展していることを踏まえ、こころのケアも含めてAIとどう付き合っていくかについての話題も多く、社会の変容に対応しながら自分の軸となるものは何かを考えていく時間になりました。
聖書の世界では、増田先生が扱われた「現代の若者をめぐる問題」と共通する問題に出会うことがあります。新約聖書では、私たちに示しています。人間となられたイエスは自ら社会の中で一番辺境な所に追いやられた数えきれないほどの「病む」人々、差別、偏見などで「生きづらさ」を背負った人々に出会っていかれました。罪人と称された病人、貧しい人達、手が不自由な人、足が萎えた人たち、人々から嫌われた徴税人、祭司によって「汚れた人」と汚名をきせられた人達などは社会の中で、人々の中で、生きることが出来なかったのです。イエスにとって重大課題は、その人の一番必要な願いに応え、社会の中で人々と共に生きることが出来る力を与えて下さいました。それがイエスのミッションでした。
例:重い皮膚病を患っている人が、「み心ならば、私を清くすることがお出来になります」といった。イエスは深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病はさり、その人は清くなった」【4人の福音史家の一人マルコの福音1:40~41参照】
当時の社会通念として「何か悪いことを冒した人が罪人である」ということではなく、社会構造の中で貧しいこと自体が罪人でした。その意味でイエスが果たした役割は、一人の人間が人と関われる道を開き、そこに喜びを見出すことでした。イエスに出会って心と身体が癒された人々は、「一番してもらいたい」と思う事を隣の人たちにも伝えていくようになるのです。これがイエスのミッションでした。
何時の時代にも「世の闇」はあり、その闇は人の心を蝕み生きる力をそいでいきます。イエスの時代にも闇があることを十分知っていた人々は、むしろイエスは人の心を癒す力を持っておられることを理解し、そして「この世の闇を照らす方」として受け入れ、イエスに希望を置きました。私たちもこの世に生きる世界に、「闇を照らす方」に出会い、闇が希望に変えられことが出来る人に出会い、それによって生きる道を見出すことが出来るよう願いたいものです。
文責:増田紗弓
シスター菅野敦子
