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       聖心会の霊性            聖心会の霊性      
              

創立者のマグダレナ・ソフィアはフランス革命の激動の時代に生きました。19世紀前半の不安定で、混乱した時代に多くの困難に直面しながらも、これほどまでの活動にマグダレナ・ソフィアをかりたてたもの その源はイエズスの聖心との深い一致にありました。マグダレナ・ソフィアは生前、会員に向けて、イエズスの聖心と一致するよう、絶えず熱心に祈るように繰り返し述べました。
マグダレナ・ソフィアの心は、聖心と深く一致していたので常に平和に満たされていました。

『会の精神は、本質的に祈りと内的生活に基礎を置いています。それは、イエスのこころと姿生きる勢に一致するため、力を尽くして、それを学び、知るように努めなければ、ふさわしくイエスの聖心の栄光をあげることができないからです。』 (会憲#17より/会則基本要綱#5)

聖心会の根本的な精神は、創立者のヴィジョンを受け継いでいますが、その表現方法は時代によって、国や文化によって、様々な形を取ります。日本という独自の歴史と文化を持つ国において、カトリシズムの精神が根づき、その文化や社会的ニードに応じた形を取るために、わたしたち日本管区では、日本における聖心会の霊性の在り方を模索してきました。

聖心会の根本的な精神は、創立者のヴィジョンを受け継いでいますが、その表現方法は時代によって、国や文化によって、様々な形を取ります。日本という独自の歴史と文化を持つ国において、カトリシズムの精神が根づき、その文化や社会的ニードに応じた形を取るために、わたしたち日本管区では、日本における聖心会の霊性の在り方を模索してきました。

聖心会日本管区では、200712月末に管区会議を開催し、日本の現代社会におけるわたしたちの霊性の在り方を、下記のような文章にまとめました。この文章は、管区の霊性に関する表明として、20087月にペルーで開催される聖心会総会に向けて提示されています。

管区会議での日本管区のステートメント

私たち日本のRSCJは、次のような社会の現実に直面している。

·         キリスト教徒は総人口の1%に満たない。神道、仏教に基づく宗教性と様々な宗教が共存できる寛容性が見られる一方、特定の宗教に属する人々は少ない。若い世代は既存の宗教に疑問を感じながらも、生きる意味を求めて宗教性を模索している。

·         高度な経済発展がもたらした物質主義・消費主義が蔓延し、グローバル化の波と共に効率が最優先され、社会的格差が著しくなってきている。

·         価値観や生き方の多様化が進み、個人主義に陥るとともに、家族の絆は薄れてきている。社会の情報化に伴いコミュニケーションのあり方が変化し、人とのかかわりを作るのが難しくなったり、ひきこもりというような現象も起こっている。

·         命の尊厳が軽んじられ、いじめや自殺などの社会的問題も深刻化している。

·         少子高齢化が進み、将来に希望を見出しにくい。

·         仕事を求めて世界各国から入って来る人々が増え、共存する上での様々な問題が生じている。

そこで私たちは、日本の精神的土壌の上に培われたRSCJ固有の霊性の恵みを再確認し、社会の現実の只中に受肉されたイエス・キリストの心を私たち一人ひとりの心として、人々の痛みや弱さに寄り添いながら生きていきたい。

·         「かかわり」によって生かされていることを人間の本質として捉え、人とのかかわりや自然との一体感の中に命の交わりを味わう。その交わりの中で受肉された神と出会い、新たなかかわりへと自らを開いていく。

·         物を所有することから解放され、簡素さの中に価値を見出す。その簡素さと沈黙のうちに感じとることのできる「間」を大切にし、観想的まなざしをもって、自然・人・出来事を通して語られる神に耳を傾ける。

·         自然の美しさや季節の移ろいの中に神聖な存在を感じとり、目に見えないものへの畏敬と感謝の念を抱く精神文化が私たちの中に息づいていることを自覚する。そして神との親しい交わりの深みへと導かれていく。

·         神の現存をからだ全体で受けとめ、自分の生き方を通して神からの呼びかけに応えることは、私たちにとっての「道」である。その「道」において、私たちの祈りはからだの姿勢や日々繰り返して身につけていく形によって養われ、豊かにされる。

·         異質なものも裁かず受け入れることのできる本来の寛容さを呼び覚まし、多文化・多宗教・多民族の共生が求められる現代世界の中に交わりを生み出す。

     

    

 

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 会の霊性の泉から(2011-1)

  (今回お送りするのは、2010年帰天されたSr.Barbara Boweが2008年の総会後に書かれた文書の抜粋です。「聖書の中や、私たちの周りの人々の叫びの中に表わされた神のみことばは私たちの中に響き、私たちはそれを預言的な衝動として受け容れます。」(2008年総会文書)

 

2008年の総会文書で、会の遺産ともいうべき観想の力を“預言的衝動”と表現した上の2行は、総会中にも大いに討議されました。観想と預言を結び付けることは、何を意味するのでしょうか。会の霊性の金科玉条の一つとして、この二つの側面の融合について述べることが、非常に大切であることが総会中に確認されました。私がまず思うことは、すべての観想的体験は、基本的に世界の中で起こることの預言的証認であり、日々の生活の中で神の神秘的な現存と呼びかけを体験することができ、それを実行しているという確信を証しすることです。観想は私たちをこの神秘に一致させ、神のみ心とその思いに引き寄せるため、そこに波長を合わせるよう招いています。

 

 第二に同様の印によって、すべての預言的行為、すべての洞察、すべての預言的言葉と行動は、 観想的心から流れ出ていると私は考えます。それは信じる者にとって、神が訪れてその人の内にテントを張り、彼女のすべての思いと行動がこの中心から流れ出ているという確信を強めます。 生活の質が預言的になる、別の言い方をすれば、言葉や行いが神的・預言的力をもって世の中の人々の心に語りかけることが可能になるのは、深い観想の生活の中でゆっくりと働かれる霊の変容力による以外にないと思います。観と預言が不可分であるというこの確信は、聖書の証しと聖心会の文書と長年の確信から生まれました。 私たちが度々口にする「全く観想的で、全く使徒想的」であるという聖心会の霊性は、正に観想と預言的生き方の絆を確認することです。

 

観想に対する私たちの熱意は、神の霊を識別する可能性を豊かにし、神に動かされる私たちの存在は、共同体生活と識別を活気づけます。観想は使徒的熱意の地固めをし、私たちの心を徐々に神とキリストに一致させます。2008年の総会は、会員の生活の観想的側面を強調し、存在と行いすべてにおいて示される預言的呼びかけとその可能性に、開かれて忠実であるよう促しています。(途中割愛)

 

 会員の生活の中で観想を重視することの最確認は、会員数が減少し仕事が複雑化する現代にあって、重くなることがあります。しかし、この側面を深く生きるならば、私たちの生活は世界に向かって預言的価値を語るでしょう。 私たちの預言的責任は、若者が希望に満ちた将来に向けて心と精神をはぐくむよう彼らを勇気づけることです。そうすれば、総会での観想優先が、世の生命のために、私たちの間で真の「預言的衝動」となることでしょう。 

                                               (訳:里見貞代)