黙想を終わって

聖心会員の2名の方たちに今年の夏の黙想会で感じたことを分かち合ってもらいました。


  シスターエリザベット

神父様はキリスト教の問題点として、イエス・キリストを育てた旧約聖書的文化、特に、旧約のトーラー(=モイゼ五書)と親しむことの大切さを説かれた。 そして東洋の文化をよく知っておられる神父様が素晴らしい祈り方を教えてくださった。例えば、聖書に出てくる河に音がある。それを聴く、手にすくってみる、味わうなど通して、そこに留まる。途中気が散ったら、それを神に委ね、また元の感覚の祈りに戻る。時間が終わると、御父、御子、聖霊のそれぞれに向き合い、今体験したことについてお話し合いをするという祈り方を教えて下さった。

私はまず神のみ言葉を受けて出発するアブラムの足音を聴く祈りを始めました。(創12章)。聴き終わってお話し合いに入ると、御父がアブラムに対して、父親が子を思う心でおられたということが伝わりました。アブラムと共に歩かれた御子はアブラムとご自分を一つにして、父なる神の思いを味わいながら一歩、一歩かれた。聖霊は御子とアブラムを旅の間中 同伴し続けたと語ってくださいました。こうして神様がどんなにご自分の家族として聖書の中の人物を感じておられるかを身にしみて感じました。今までアブラハムを遠くにしか見ていなかった私がこういう神様に出会い、アブラハムに近い自分を知りました。

この祈り方で祈ると、理屈を超えて聖書だけでなく、現代の社会の私たち一人一人の全てを知り、受け止め、惜しみ、愛し、家族や共同体を活性化される神の心が身近に感じられます。人のことがある意味で私にとっても他人事でなくなったように思います。 私の黙想はこれまで「神さまと私」というのが中心でした。が今年はいつの間にか神さまの家族である人類へとぐっと近づけていただいたのを感じています。

こういう祈り方で一緒に祈って分かち合いませんか? そんなことが出来たらと願っています。


  神との語らいーシスターベルナデッタ

9月10日 

美しい緑のお茶畑のむこうに富士山が私たちを黙想の家に迎えていました。毎日良い天気で富士山を眺め、雨の日は1日でこの日も朝5時ごろ灰色の富士を見ることができ、神様が私たちをじっと変わらぬ愛で見守っていらっしゃるようでした。

私たちは旧約聖書の創世記から、レビ記、申命記、と黙想しました。頭のレベルで勉強したことはありましたが、ゆっくりと祈ったのは初めてでした。感動したのは創世記1;2、6:5~7,です。「神の霊が水の面を動いていた」のところでは、静かな谷川の水、せせらぎの音、水は祝福のとき、洗礼の時、最近では津波などと思いめぐらすうちに、十字架上のキリストの御脇腹よりの血と水、聖心の愛へとみちびかれて神様の愛の深さに酔わされる恵みのひとときを過ごしました。次に創世記 6:5~7へと入り、神様のお心にとどまりました。5日目は、完全な沈黙の一日で講話、面接なし、食事のとき、ミサのとき、歌は一切なしでイエスとともに過ごし、夜の聖時間で終わりました。この日の喜びは言葉では言い表せません。

最初の日から、聖霊が私たちを包んでくださり、そこからでられないほどでした。(こう)かおりを「聞き私たち心を清められ落ち着いた雰囲気を感じ取ることができました。神様との語らいは、止むことなく、ずっと続くことを確信できました。

食事中、沈黙で、神父様が終わり頃に、数人の人と共にお盆にのせたお茶を配って下さる姿はイエズスの仕える姿に見えて感激しました。皆が食事を終わった時点で神父様がお立ちになられますのでその間とても静かに祈っていられました。

本当に恵みに満ちた黙想でした。感謝でいっぱいです。